#34 「好きか執着か迷ったら」/妹尾ユウカ
SPECIAL COLUMN
#34 「好きか執着か迷ったら」/妹尾ユウカ
「好き」と「執着」はよく似ている。どちらも頭の中を簡単に占拠し、感情を揺さぶり、ときに日常生活に支障をきたす。でも、似ているのはあくまで"症状"であって、"原因"はまったく違う。
1 好きと執着の違いとは?
「好き」とは、相手そのものに価値を感じている状態であり、中心には相手がいる。その人が笑っていたら嬉しいし、幸せでいてくれたらそれでいい。常に自分が相手の中心にいる必要はなくて、コントロールしようとも思わない。それはそれは、とても健全で風通しの良い感情である。
一方で「執着」は、相手を通して自分を満たそうとしている状態であり、中心には実は自分がいる。愛されたい、認められたい、大切にされたい。いわば、自分のコンプレックスの解消や空白を埋めてくれる道具として、相手のことをいつまでも手離せず、自分を満たす手段として、愛されることを求め留まる。
「私を見て」「私を選んで」「私を必要として」
これら全て、その人の存在を借りて、自分の価値を確認したいだけなのだ。
2 執着の正体
好きは、「その人を大事にしたい」と思う感情。
執着は、「その人に大事にされたい」と思う感情。恋愛において、どちらも抱いて当然の感情だが、その順番の違いが心の在り方を大きく変える。
あなたの恋愛が執着である場合、相手に「今日はなんだか冷たい気がする」と感じた瞬間、それがすぐに「自分の価値が否定された」と結びついてしまうことがある。
たとえ彼がたまたま疲れているだけだったり、余裕がないだけだったとしても、相手と自分の心の境界線が曖昧だと、それを「私が足りないからだ」「愛されていないからだ」と短絡的に結論づけてしまう。この“心の同一化”こそが、執着の温床になるのだ。
健やかな「好き」は、相手をひとりの独立した存在として見る。当然、相手には相手の事情があり、感情があり、世界がある。だから、期待はするけど、委ねすぎない。信じても、依存しない。
執着の正体は、“満たされなさ”に起因している。「手に入らないかも」という不安、「他の誰かに取られるかも」という焦り、「この人がいないとダメかも」という依存。そういう“不足”を埋めようとする行為が、執着なのだ。
3 自分の気持ちが分からなくなってしまった時は...
もし、自分が相手のことを「好き」なのか「執着」なのか分からなくなったときは、一つの見分け方として、「この恋は、私の人生を豊かにしているか?」と自分に問いかけてみてほしい。
「好き」は自己肯定感から生まれ、「執着」は自己否定感から育つ。前者なら、日常に彩りが足されていくが、後者なら、その逆が起きる。寝る時間や笑う余裕、自信。そうした大切なものが、少しずつ削られていく。それが、執着のいちばん怖いところだ。
自分の子どもや大切な友達に、その恋をさせたいと思えないのなら、あなたもその恋をやめた方がいい。誰かを深く想う前に、まずは自分のことを丁寧に扱うこと。愛するよりも前に、自分をいたわる勇気を、どうか忘れないでいてほしい。
妹尾ユウカ
独自の視点から綴られる恋愛観の毒舌ツイートが女性を中心に話題となり、
『AM』や『AERA.dot』など多くのウェブメディアや『週刊SPA!』『ViVi』などの雑誌で活躍する人気コラムニスト。
その他、脚本家、Abema TVなどにてコメンテーターとしても活動するインフルエンサー。