#4「とにかくヒロイン症候群」/妹尾ユウカ
SPECIAL COLUMN
#4「とにかくヒロイン症候群」/妹尾ユウカ
『今夜、軽率に抱かれたくなりました』なんてタイトルの著書を出しておきながら、最近はセックスをしていない。「していない」というのは若干の嘘だが、以前ほどはしていない。飽きたわけでも懲りたわけでもなく、”セックスをしない”ということが1番の遊戯になっている。
世にも奇妙な話ですが...
彼を汎用性のある言葉で表現するならば「美人」が最もふさわしい。
自宅、名字、出身地、タトゥーの意味、この後の予定。互いになに一つとして知らない関係性、聞こうともしない間柄。そこに容姿の華やかさも相まって、偶像のような存在になりつつある。そんな男と午前3時、猛烈な「会いたい」という意思もなく、なんとなく2人は会っている。
待ち合わせは騒がしいバーの人目につかない一角。あるいは意図せぬスキンヘッドに指が1本足りない店員のいる不穏なバー。話を端折っても端折らなくても、そこで私たちは小さなグラスに注がれた並々のお酒をほどほどに飲み、虚ろな顔を寄せ合って、所構わずキスをしては別々の帰路についている。ただそれだけの話である。そして、そんな時間が今の私にとって最も幸福であるという、世にも奇妙な話である。
何でもなれる関係性
セックスをしないということは、余計なことを知らずに済む。最中の望まぬ醜態や相手のモノの大なり小なり。翌日のヨレたクッションファンデや人間らしい気の抜けた寝姿。カラダの関係がない以上、”コイツは自分のモノ”といったありがちな傲慢さもそこには生まれない。素顔を見せ合う気の無い2人が共有するこの野暮な時間は”現実逃避”そのものであるが、そのくらいがちょうどいい。まだ何にでもなれる関係性を飽きるまで堪能していたい。
ハッピーエンドだけが幸せではない
私はいつまでも"互いは異性である"という認識を持っていたい。先日、知人から「気を抜ける人を探すのが面倒だから、今の彼氏と別れずにいる」という話を聞いて、私とは全く異なる価値観に驚いた。これは私が2年前に離婚を決断した理由の一つでもあるのだが、気を抜ける相手を選ぶことは女であることへの怠惰である。どちらが正しいという話ではなく、あくまで私は女でいることに喜びを感じているので、その点においてラクをすることは生き甲斐をなくすようなものなのだ。
世間的には、"一人の男に幸せにされて、おだやかな暮らしを一生涯し続けること"が幸せのゴールとされているが、そもそも、私は私の人生を男に幸せにしてもらおうだなんて思っていない。恋愛は必ずしも、ハッピーエンドだけが幸せなわけではない。
取っ替え引っ替えチャランポランに遊んでいられる身分であることに、すでに幸せを感じているし、それを実現させてくれる全ての要素に感謝をしている。休日は娘を預かってくれる家族、口裏を合わせてくれる女友達、キュートな容姿を作り上げてくれた美容外科医、他の男の影に目を瞑ってくれる男たち、みんな本当にありがとう。
男に唯一求めるものとは?
最後に、そんな私が男に求めるものといえば、「退屈ではないこと」ただそれだけである。今年、ついにアラサーの仲間入りをするが、当たり前に将来性や安定性といった観点などどうでもいい。
私にとって、”つまらない男”という生物は”ひどい男”よりもよっぽど最悪な存在である。ひどい男は悲劇であっても女をヒロインにしてくれるが、つまらない男は女をまるで村人Aのような気分にさせてくる。私はどんな劇でも構わないから、必ずヒロインでありたいのだ。
妹尾ユウカ
独自の視点から綴られる恋愛観の毒舌ツイートが女性を中心に話題となり、『AM』や『AERA.dot』など多くのウェブメディアや『週刊SPA!』『ViVi』などの雑誌で活躍する人気コラムニスト。
その他、脚本家、Abema TVなどにてコメンテーターとしても活動するインフルエンサー。